以下は1998年度 J-ABAニュースレターに掲載された石井拓君の「ゼミ紹介」を加筆・訂正したものです。


どんなゼミか?

私たちのゼミはガミゼミと呼ばれている。坂上ゼミだからガミゼミである。がさつな響きだとは常々思っていたが、文字にするともっといけないということにたったいま気付いた。坂上ゼミは人数が少ない。心理学専攻全体では各学年に約25名の学生がいるが、坂上ゼミに入るのはそのうちの2、3名である。しかも、心理学専攻全体では女性の方がやや多いのに、坂上ゼミに入るのは圧倒的に男性が多い。そのため、坂上先生は自分のゼミを『野郎ゼミ』と形容し、ガハハと笑う。私は先生のガハハ笑いを聞き、ガミゼミという呼び方に納得してしまう。『野郎ゼミ』の元凶は笑っているご本人にある。現在(1998年1月)坂上ゼミには7名の学生がいる。修士課程の学生が2名と学部4年生が2名。これらはみな男性。残りの3名が3年生で、そのうち2名が女性。1学年に2名の女性がいるのは坂上ゼミ史上初の快挙である。

ゼミでなにをしているのか?

坂上ゼミでは何をしているのかと尋ねられた場合、真っ先に思いつく回答は酒を飲んでいるということである。本当によく飲む。何しろ坂上先生が率先して飲む。ことあるごとに飲む。ことがなくても飲む。毎週ゼミの授業が終わった後から終電間際まで飲んでいる。場所は主に坂上先生自身の研究室である。大学の周辺で酒と肴を買い集めてくるのだ。ゼミの人数が少ないのでこういうときは小回りがきく。円卓の周りに椅子を並べれば毎週恒例ミニ宴会の始まりである。よく飽きないものだと思う。アルコールの強化力が絶大なのか。おそらくそうだろう。実験的介入としてビールをウーロン茶かえてみれば分かることだ。しかし結果は明白なので無駄な実験はしない。では強化子はアルコールだけだろうか。そうではない。試しに全くしゃべらずにひたすらアルコールを摂取してみればよい。1時間ともたないだろう。結局、私たちの宴会行動はアルコールと会話の組み合わせによって維持されていると言える。「酒の席は楽しい」ということを言うのに行動分析学では約200字費やした。

坂上先生の人柄は?

坂上先生の研究室で飲んでいるとき、最も気になるのは壁を埋め尽くすほど並べられた多くの本である。中でもいちばん目をひくのは『ヌンチャク・サイ』という本。なぜそんな本があるのか。研究室のドアのノブにはスポンジ製のヌンチャクが掛かっている。ご本人の話によると、「昔ちょっと練習してみたくなった」らしい。ブルース・リーのファンという訳ではないようである。坂上先生はどうも「ちょっと練習してみたく」なることが多いようだ。特に楽器。私の知っているものではキーボード、尺八、ハーモニカ、パチカ(アメリカンクラッカーのような形をしたマラカスみたいなアフリカの民族楽器)がある。しかし、どれをとっても習熟しているとは言い難い。聴衆がいない場合でも、楽器を演奏する行動は演奏すること自体によって強化されると考えられるが、そうなるまでにはある程度の練習が必要である。つまり、演奏行動が演奏自体によって強化されるようになるまでは、演奏行動は外的な強化子によって維持されなければならない。しかし、研究室には坂上先生の演奏を積極的に強化しようなどという人はいない。それゆえ演奏が上達しないのは当然であり、坂上先生のことを決して「飽きっぽい」などと言ってはいけない。

最後に

ところで、よく訊かれる質問に「君はなぜ坂上ゼミに入ったのか」というものがある。この質問に対しては「インスピレーションがはたらいたから」としか答えられない。「インスピレーション」という言葉は「表象」と同じように危険な言葉だ。インスピレーションは行動の原因ではない。それゆえ、上の答えは答えになっていない。慶應義塾大学の心理学専攻には6つのゼミがあるが、その中からあえて坂上ゼミを選択した理由は自分自身にも分からない。いや、分からないわけではない。言葉では表せない何かが確かに影響していた。インスピレーションとはその「何か」に対してつけられる名前だと考えることもできる。坂上先生はいつか、やはり酒の席でこう訊いた。「もっと偉い先生のところにいかなくてよかったの?」私は答えようがなかったので日本酒のコップをもったままニタニタしていた。その日はたしか『一ノ蔵』が一升空いた。今年ももうすぐゼミ選びの時期がやってくる。どれだけの人が坂上ゼミに来るのか分からない。とりあえず今年もたくさん飲みましょう。



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